2009年02月20日

行為者と観察者

本当のことを言う」という記事より。

業界の成長に水を差すというのが,その理由だった。「私たちには産業を育成する責務がある。このようなネガティブな記事はせっかく加熱してきた投資意欲を削ぐものだ」と。  その大先輩は,マスコミは行為者であるべきで,観察者ではダメなのだという。「目の前に弱ったネコがいるとするだろ。見ると,どうもエサを食べたがっていない。それを見て『どうも食べていないようですねぇ』なんて書いてどんな意味があるんだ。何とかエサを食べさせようとするのがオレたちの仕事じゃないか」と説教されたものである。  それは一つのあり方だと思うが,私がこの会社に転職してきて,当時の編集長である西村氏から薫陶を受けたジャーナリストのあるべき姿とは正反対のものだった。西村氏は「ジャーナリストはよき観察者であるべし」という。簡単に言えば,見えにくい「本当のこと」を書きなさいということだと思う。そうであれば,その反語としての「行為者」とは,「本当のこと」を自身の責務や信念,自身が奉じる正義と照らし合わせて解釈,あるいは演出する者,ということになるだろう。  西村氏の「観察者たれ」との教えに従えば,「このペースで投資を続ければ供給過剰に陥る」ということが「本当のこと」だと確信できれば,説得できる材料を用意してそれを訴えるべきである。その結果は,「正義に照らし合わせて論調を決める」という行為者からすれば「まったくなってない」ものかもしれない。

う〜ん、行為者と観察者、、、なるほど、自分は、都合の良いよう使い分けているなぁとおもう、今日この頃。
でも、根っこは、『観察者』なんだよなぁ。それを捻じ曲げて『行為者』になってしまうのが、結局『欲』ってことなのかな。
(なんの話かの詳細はかけませんが。。。聞きたい方は、個別に聞いてください。タグでばれてるという話もありますが、気にしないでください。(w)

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