2007年07月31日

コミュニティーの維持

オープンソースで「永く使える安心」を守るために」という記事が出ておりました。
私どもも、一応小さいながらもコミュニティーをやっておりますので、気になった次第であります。

まずは、ユーザ視点での利点が書かれております。わたし的な理解では、「コミュニティー理念を貫く」というところでしょうか?そこを維持していけば、ロードマップが維持されるはずですので、突然の路線変更などはないのかなと思う次第です。

多くのユーザーがOSSを評価する理由の一つが,「商用製品のようにベンダーの戦略・都合に左右されることがなく,継続的・安定的にサポートとソフトウエアのバージョンアップが提供される」ことにある。

さらに、コミュニティーとして継続していくための一つの手法が、書かれております。
実は、個人的には、これは要検討事項の一つ。成功したら、この手のパターンなど考えたいです。。。まずは、その前に成功しないと無意味なわけですが。(w

Seasarファウンデーションの役割は,開発コミュニティの支援のほか,コミュニティ活動で得られた成果物の知的財産権の管理など。組織の運営は複数の理事で構成される理事会や年1回の会員総会に委ねられ,開発の中心メンバーである比嘉氏も理事の1人に過ぎない。「合議制による組織運営ならば,1人の意志で組織が暴走することもない」(ISIDの飯田氏)。




さらに、おあつらえ向きに最首さんのGroovin' Highのエントリー「成功しているコミュニティから学ぶこと」というものを発見。
成功している日本を代表するコミュニティーのお二人となりが書かれております。

●Seasarファウンデーションの代表 栗原さん。

時としてグダグダになっちゃうことがあるけどSeasarはしっかりしてるよね。出来上がってきている製品もすごくいいけど、コミュニティ自体がしっかりしている。

(中略)

彼には独特の「音感」があって、その感覚で物事の本質を嗅ぎ取る人だね。このセンスと行動力、それに継続しつづける努力。



●日本Rubyの会の高橋会長。

すごく理知的で物静かな人。同時に、情熱と行動力の人。



ここでの共通点は、「行動力」なんですかね?そして、まとめに「なんか二人ともすごく魅力的な人だな。」と、「魅力的」とあります。

う〜ん、わたしには、ここだけでも壁がぶ厚いよ。。。orz
最首さんも「俺はまだまだだなぁ。って実感したよ。」との感想が。。。う〜ん、最首さんほどの人でも「まだまだ」ですか。。。たぶん、他にもいろいろと感じたことがあったのでしょうね。ぜひとも、詳しいお話を聞いてみたいところです。



ということで、

「われこそは!という人は、ぜひご一報を。<(_ _)>」←結論

といつものように他力本願オチで。(;^_^A アセアセ・・・

追記(2007/08/13)
yusukeたんのところに、「コミュニティはマネージメント手法なんだ
というエントリー発見。

いやはや、キモの一つはここですね。大きくは、意見対立が起きた場合も含むってところです。

危険なのはコミュニティがムーブメント化されたときにコミュニティ脳ではない人が参加してきたとき。そういう人はこれまでと同じスタイルでの富の配分を求めるはずです。

そして、それに続く文として、下記の指摘があるわけですが、個人的にこれなのかなと思っていたりします。要は、「理念を貫く」。

本質的には理想論だけのムーブメントであってほしい。誰がなんと言おうと義理人情をかなぐり捨てて、自らの直感のままに進んでほしいと思うわけです。


ということで、この辺、まとめないとなぁと思っておるところだったりします。
(「わからん」と言われているので。。。)
いちおう、大枠的には、「SIPというか、クライアント間を繋ぐというネットワークを広めること」であったりするわけですが。

comments

そんなに持ち上げられると冷や汗が出ちゃいます。最近思うんですけど、たとえば日本Rubyの会の高橋さんとか。RubyはJavaよりも歴史があって。つまりなかなか日の目を見ない時代なんかもあってですね。じゃ、なんでずっと継続してきたのかといえば、純粋にRubyが好きだとか。純粋にまつもとさんとか関わっている人が魅力的だとか。なんかこういう感覚って、学生時代にはじめてパソコン買った時の、ソフトなんか何にもないけど、プログラム作るのが純粋に楽しかった思い出みたいな。こういう感覚に原点を置いているRubyな人達って、ぼくはたまらなく好きなんですよ。
自分自身、単純にソフトウェア会社の経営者で終わりたくないと思っていて。こういう人達が、少しでもハッピーになるような。(つまり九州の素敵な人達にも同じ気持ちなんですけどね。)そういうことに人生が費やせたら、生きててよかったなぁと思えそうな気がして。根っこのところでは、そんなことを考えています。甘っちょろいかもしれませんが、仕方ないですよね?人間ですから。

  • 最首
  • 2007年08月06日 00:16

最首さん


> 最近思うんですけど、たとえば日本Rubyの会の高橋さんとか。RubyはJavaよりも歴史があって。つまりなかなか日の目を見ない時代なんかもあってですね。じゃ、なんでずっと継続してきたのかといえば、純粋にRubyが好きだとか。純粋にまつもとさんとか関わっている人が魅力的だとか。なんかこういう感覚って、学生時代にはじめてパソコン買った時の、ソフトなんか何にもないけど、プログラム作るのが純粋に楽しかった思い出みたいな。こういう感覚に原点を置いているRubyな人達って、ぼくはたまらなく好きなんですよ。

なるほどぉ。たしかに、わたしもSIPに出会ったときの最初の感動から続けているところですね。
「ものとものをセッションで繋げる」というすごくシンプルなんですけど、やれることの幅がぐぐっと広がって、目の前が開けたというか、そのときから、来てるんですよねぇ。


> こういう人達が、少しでもハッピーになるような。(つまり九州の素敵な人達にも同じ気持ちなんですけどね。)そういうことに人生が費やせたら、生きててよかったなぁと思えそうな気がして。根っこのところでは、そんなことを考えています。甘っちょろいかもしれませんが、仕方ないですよね?人間ですから。

わたしも、技術者(わたし自身とも言う(;^_^A)がオモシロく遊べるフィールドが、広がればよいなぁといろいろと活動しているところもあります。そして、その一歩を踏み出したという状態です。

でも、わたしも、最初の一歩を踏み出すのに時間かかりました。やはり、なかなか、最初の一歩を踏み出すという環境が少ないのが現状ですから。そして、「Rubyビジネス・コモンズ」などがその足がかりになればよいなという期待もしていたりするのですが。(という、プレッシャーを与えてみたりして。。。また、冷や汗出ちゃいますかね?(;^_^A アセアセ・・・)

> そんなに持ち上げられると冷や汗が出ちゃいます。

  • noritsuna
  • 2007年08月07日 20:26
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